(夜、通り、街灯、薬局)/ アレクサンドル・ブローク
夜、通り、街灯、薬局、
ぼんやりとしたくすんだ明かり。
もう四半世紀生きてみるがいい、
全てが同じだ。逃げ道はない。
死んで——再びはじめから、
そして全てが繰り返す、かつてのように。
夜、運河の凍ったさざなみ、
薬局、通り、街灯。
1912年
出展:
Ночь, улица, фонарь, аптека… — Блок. Полный текст стихотворения — Ночь, улица, фонарь, аптека…
(白夜の五月は残酷だ!) / アレクサンドル・ブローク
白夜の五月は残酷だ!
永遠に門を叩きつける、出かけるのだと!
水色の煙が背後にあって、
未知が、破滅が眼前に!
女たちは狂気のまなこで、
永遠に踏み潰されたバラを胸に秘める!
目覚めろ!我を剣で突き刺してくれ
我が欲望から解放してくれ!
素晴らしき哉、広い草原で輪となって
熱情の輪舞を通り抜け、
ビールを飲んで、良き友と笑い、
花輪模様を編み込んで、
花は他人の女にくれてやり、
欲望、悲しみ、幸福を絞り尽くす、
だがそれほどの価値はある、重たい鋤を手に取って
朝、瑞々しい露の中を行けば。
初出:1908年
劇のあとで / アントン・チェーホフ
ナーヂャ・ゼレーニナは、母と一緒に『エヴゲーニィ・オネーギン』が上演された劇場から帰り、自分の部屋に戻ると、すぐさまドレスを脱ぎ捨て、編んだ髪をほどき、スカート一枚、ブラウス一枚の姿で慌てて机に向かい、タチヤーナのような手紙を書こうとしていた。
「あなたを愛しています――彼女は書きつけた――けれどあなたは私を愛していない、愛していないの!」
そう書いて笑い出した。
彼女はまだ十六歳になったばかりで、誰かを愛したことはなかった。将校のゴールニィと学生のグルーズヂェフが彼女を愛しているのは気づいていたが、今、オペラを観たあとでは、彼らの愛を疑ってみたくなった。愛されず不幸でいるのは――なんて魅力的なんだろう!一方が激しく愛し、もう一方が冷淡でいることには、なにか美しく、感動的で、詩的なものがあった。オネーギンの魅力は、みじんも愛していないところにあり、タチヤーナに惹きつけられるのは、彼女がとても愛しているからで、もしも二人が同じように愛し合い幸せであったなら、それは、きっと、つまらないものになっていただろう。
「やめてください、私を愛してると信じさせようなんて」ナーヂャはゴールニィ将校を思い浮かべて書き進めた。「あなたを信じることなんでできません。あなたはとても賢くて、教育もあり、真面目で、大きな才能をお持ちです、それに、きっと、輝かしい未来が待っています。けれど私はつまらない、なんの取り柄もない娘、それにあなたがよくよくご存知のように、あなたの人生の中で私はだだの障害物になるだけ。本当です、あなたは私に恋をして、私の中に自分の理想を見つけた、けれどもそれは間違いで、今や絶望して自分に問いかけているのです、なんでこんな娘に出会ってしまったのだろうって。そしてあなたの良心だけが、そのことに気づくのを妨げているのです」
ナーヂャは自分が哀れに思え、泣き出してこう続けた。
「母や弟を残すのがつらいのです。そうでなければ修道服を着てどこかへ行ってしまうことでしょう。そしたらあなたは自由の身になって他の人に恋をするのでしょうね。ああ、いっそ死んでしまいたい!」
涙越しでは書いた文字も判読できず、机に、床に、天井に、小さな虹が揺れていて、まるでプリズムを通して覗いているようだった。筆を進めることができず、肘掛椅子の背もたれに身をのけぞらせ、ゴールニィのことを考えはじめた。
ああもう、なんて魅力的で、素敵な人たちなんだろう!ナーヂャが思い出すのは、すばらしい、おもねるような、いたずらでやわらかな表情を浮かべた将校と音楽の議論をした時のこと、そしてその時声に興奮を表すまいと自制する様だった。冷たい横柄さや無関心が良き教育や高潔な気質の証となる場では、その情熱を隠さねばならなかった。そして隠そうとするのだが、うまくはいかず、彼が音楽を情熱的に愛していることを誰もがよくわかっていた。とめどない音楽についての議論や、頭の鈍い人たちの大胆な意見のせいで彼の緊張の糸は途切れをることを知らず、怯え、おののき、口数も少なくなった。彼のピアノはかなりの腕前で、本物のピアニストのようだった。だから、もし将校じゃなかったら、きっと名のある音楽家になっていたことだろう。
涙は瞳の中で枯れ果てた。ナーヂャは、ゴールニィがシンフォニーの集いで彼女に愛を告白したこと、それからそのあとクロークのあたりで四方から隙間風が吹いていた時のことを思い出した。
「あなたがついにグルーズヂェフさんとお知り合いになられたこと、とても嬉しく思います。――ナーヂャは書き続けた――彼はとても賢い方で、あなたもきっと好きになることでしょう。昨晩、彼はうちにいらして2時までお過ごしになりました。私たちはみな大喜びで、私なんて、あなたが訪ねて来ないことを願ったほどです。たくさんすばらしいお話をしてくださいました。」
ナーヂャは机に手を置き、その上に頭を乗せると、彼女の髪が手紙を覆った。思い出すのは、学生のグルーズヂェフも彼女を愛していること、そして彼もまた彼女の手紙を受け取る権利を、ゴールニィと等しく持っているということだった。本当に、グルーズヂェフに手紙を書かない方がいいのだろうか?訳もなく彼女の胸の中で喜びが湧き上がってきた。初めは小さく、胸の中を小さなゴム鞠のように転がっていたが、しばらくすると縦横に大きさを増して、波のように押し寄せた。ナーヂャはもはやゴールニィやグルーズヂェフのことは忘れ、思考は乱れ、喜びは次第に大きくなり、彼女の胸から両手、両脚へと巡り、まるで涼しいそよ風が吹き、髪を揺らしたような気がした。彼女の両肩が小さな笑いでふるえ出すと、机も、ランプのガラスもふるえ出して、手紙の上には目から涙がこぼれ出た。彼女には笑いを止める力もなく、訳なく笑っているわけじゃないと自分に言い聞かせようとして、急いで何か笑えるようなことを思い出した。
「なんて可笑しなプードル!」そう声に出しながら、笑いで息苦しくなるのを感じていた。「なんて可笑しなプードルなの!」
彼女は、グルーズヂェフが昨日のお茶の後にプードルのマクシムとじゃれあって、そのあと話したあるとても賢いプードルのことを思い出した。そのプードルが中庭でカラスを追い立てると、カラスが振り返って言うのだった。
「おいこの、イカサマ野郎!」
プードルは、碩学のカラスを相手にしているとはつゆ知らず、大いに戸惑い、うろたえて後ずさったが、そのあと吠えかかったのだった。
「いいえ、グルーズヂェフを愛した方がいいのよ」ナーヂャはそう心に決めて手紙を引き裂いた。
彼女は、学生のこと、彼の愛のこと、自分の愛のことを考えだしたが、思考は頭の中であちこちに広がって、あらゆることを考えた。母のこと、通りのこと、鉛筆のこと、ピアノのこと……。考えていると楽しくて、何もかもが素晴らしくてみごとなように思えたが、喜びが彼女に語りかけるのは、まだこれが全てではなく、今にもっと良いものになるということだった。じきに春が来て、夏になり、母と一緒にゴールビキまで出かけて、休暇を取ったゴールニィがやって来ると、二人で庭を散歩してそれからご機嫌をとってくる。グルーズヂェフもやってくる。彼とはクロッケーやケーグリをしたり、おもしろいことやびっくりするような話をしてもらう。彼女は、庭や、暗闇、澄んだ空、星たちがたまらなく欲しくなった。ふたたび肩が笑いでふるえだし、部屋によもぎの香りがして、小枝が窓を叩いたような気がした。
彼女はベッドに駆けていき、腰を下ろして、このおおきな喜びをどうすればいいのかわからずに、それに苦しめられて、ベッドの背もたれに掛かった聖像を見つめて言うのだった。
「神さま!神さま!神さま!」
初出:1892年
注:『エヴゲーニィ・オネーギン』とは、19世紀ロシアを代表する作家・プーシキンの代表作
出典:
(さようなら、友よ、さようなら) / セルゲイ・エセーニン
さようなら、友よ、さようなら。
大切な人よ、君は僕の胸の中にいる。
定められし別れは、
未来の出会いを約束している。
さようなら、友よ、握手も言葉も交わさずに、
寂しさ悲しみを眉にも見せず、––
人生において死は新たなものではなく、
生きることもまた、当然ながら、新しいことでないのだから。
1925年
出典:
・ひとこと
かつてロシアを訪れた際に買って帰ったエセーニンの詩集から。
詩集の最後に収められた別れの詩をひとつ。
いつかまたロシアに行く日は来るだろうか。
エセーニンの詩集
(すすり泣く吹雪は) / セルゲイ・エセーニン
すすり泣く吹雪は、まるでロマのバイオリン。
愛しい乙女、意地悪な微笑み。
僕は怯えてはいないだろうか、その青い眼差しに?
多くのものが僕には必要で、多くのものが無用だ。
僕たちはあまりに遠く、そしてあまりに似ていない--
君は若く、僕はすっかり歳をとった。
若者たちには幸せでも、僕にはただの思い出だ
猛る吹雪の雪降る夜の。
甘えてるわけじゃない--嵐はバイオリンのようだ。
心に吹雪くは君が微笑み。
1925年10月
クリスマス週間 (2) / アントン・チェーホフ
Ⅱ
B. O. モゼリベイゼル医師の水治療院は新年も平日と変わらず開いていたが、ただ守衛のアンドレイ・フリサンフィチだけが真新しいモールのついた制服を着て、なにやらとりわけ長靴が輝きを放ち、やって来る人たち皆に新年を、それから幸多き一年になることを祝っていた。
朝だった。アンドレイ・フリサンフィチはドアの前に座って新聞を読んでいた。ちょうど10時にやって来た将軍は、懇意の仲の、通院患者のひとりで、その後ろには――郵便局員がついていた。アンドレイ・フリサンフィチは将軍の外套を脱がせ、こう言った
「明けましておめでとうございます、幸多き一年になりますように、閣下殿!」
「ありがとう、守衛くん。君もな。」
そして階段を登って、将軍はあごでドアの方を指して訊いた(彼は毎日そう訊いて毎回あとになって忘れているのだ)
「ところでこの部屋にはなにがある?」
「マッサージルームでございます、閣下殿!」
将軍の足音が静まったころ、アンドレイ・フリサンフィチは受け取った手紙に目を通して、その一通に自分の名があるのを見つけた。開封して数行読むと、そのあと急ぐでもなく、新聞を見ながら、自分の部屋のある、階の真下の廊下の突き当たりへ向かった。彼の妻のエフィーミヤはベッドに座って赤ん坊に授乳しており、もうひとり、一番上の男の子がそばに立って、彼女の両膝にちぢれ毛の頭を置き、3人目の子はベッドで寝ていた。
部屋に入りながら、アンドレイは妻に手紙を渡して言った。
「きっと、村からだな」
そのあと彼は出ていって、新聞から目も離さず、廊下の、部屋のドアからそう遠くないところで立ち止まった。聞こえて来たのは、エフィーミヤが震えた声で最初の数行を読んでいるところだった。それ以上読み進めることはできなかった、彼女にはその数行で十分で、涙があふれ出し、上の子を抱きしめると、キスをして、話しをしはじめたが、彼女が泣いているのか笑っているのかは見分けがつかなかった。
「おばあちゃん、おじいちゃんからよ……」彼女は言った。「村からよ……聖母様、なんてことでしょう。向こうじゃ今ごろ雪が屋根まで積もって……村は真っ白になってるのよ。
子どもたちはちっちゃなソリに乗ってね……それから禿げたおじいちゃんはペチカの上で寝そべってるの……それから黄色い子犬がいて……愛する父さん母さん!」
アンドレイ・フリサンフィチがそれを聴きながら思い出したのは、3度か4度ほど妻から手紙を渡され、村に送ってくれるように頼まれたこと、しかしなにか大事な用事に邪魔されて、送らずに、どこかへほったらかしにしていたことだった。
「野にはウサギたちが駆けまわってね」エフィーミヤは嘆き悲しみ、涙に濡れて、息子にキスをした。「おじいちゃんはもの静かで、やさしくって、おばあちゃんもやっぱりやさしくて、思いやりがあって。村では心の底から生きていて、神さまを恐れてるのよ……それから村の小さな教会じゃ女たちが聖歌隊で歌ってね。どうか私たちをここから連れ去ってください、聖母マリア様!」
アンドレイ・フリサンフィチは誰もいないうちにタバコを吸おうと部屋に戻ると、エフィーミヤは急に黙り込み、静かになって目を拭い、ただ唇だけが震えていた。彼女は彼のことをとても恐れていた、ああ、本当に恐れていた!ビクビクして、彼の足音、目線に怯え、彼のいる前では一言も発することができなかった。
アンドレイ・フリサンフィチはタバコを吸い出したが、ちょうどその時上の階から呼び出された。タバコの火を消すと、真面目な表情を作り、正面扉の方へ駆けていった。
階上から降りて来た将軍は、湯船上がりで火照って、つやつやだった。
「この部屋はなんだね?」ドアを指してそう訊いた。
アンドレイ・フリサンフィチは体をピンと伸ばし、手を縫い目に沿わせ、大きな声で発した。
「シャルコー式シャワーでございます、閣下殿!」
1900年1月1日
・ひとこと
121年前の今日、『ペテルブルグ新聞』にて発表された作品。当然過去に素晴らしい訳が出ている作品ですが、故郷と離ればなれで過ごすこの年末年始ともリンクする気がしたので、数年前に訳しておいたものを少し手直しし掲載しました。
チェーホフ作品では届かない手紙がよく出て来ます(同じくクリスマス物語の「ワーニカ」など)。これも一方からは届くけれども、他方からは届かない。そこにはさまざまな問題があり、コミュニケーションは常に断絶されている。例えば、娘の手元に届いた両親からの手紙とて、誤字脱字たっぷりで、意味不明な内容です。ここには「ディスコミュニケーション」という、これまたチェーホフ作品によく出て来るテーマがあります。
ちなみに「クリスマス週間」とはロシア語で Святки (スヴャートキー)と言い、ロシアの旧暦でクリスマスイヴの12月24日から洗礼日の1月6日の期間のこと。現在のロシアでは1月7日がクリスマスで、19日が洗礼日になるようです。
最後に出て来るシャルコー式シャワーとは、フランスのジャン=マルタン・シャルコーが発明(?)したもののようです。(↓wikipediaより参考写真)
クリスマス週間 (1) / アントン・チェーホフ
Ⅰ
「何を書いたらいいんだ?」エゴールはそう訊いて羽ペンを浸した。
ワシリーサは自分の娘と会わないでもう4年になる。娘のエフィーミヤは結婚式のあと夫とペテルブルグに行ってしまい、手紙を2通送ってきたあとは水に沈んだように、風の便りも噂話も聞かなかった。それでばあさんは明け方に牛の乳を搾っていても、ペチカを焚いていても、夜中にうとうとしていても――いつもおんなじことを考えていた。あっちでエフィーミヤはどうしてるんだろう、元気なんだろうか。手紙をおくってやんなきゃならんけど、じいさんは書けんし、かといって頼む人もおらんし。
しかしもうクリスマスの週がやってきて、ワシリーサはいてもたってもいられず居酒屋にいるエゴールという、女将さんの弟のところに向かった。その弟は兵役から帰ってくるなりずっと居酒屋に入り浸りきりで、なんにもしていなかったが、人の話では、しかるべきものを払いさえすれば、上手に手紙を書いてくれるということだった。ワシリーサは居酒屋の料理女、つぎに女将、つぎにエゴールと話した。15コペイカで話がついた。
そしていま――それは祭日も2日目の、居酒屋の調理場でのことだった――エゴールはテーブルに向かってペンを握っていた。ワシリーサはその前に立って、思案に暮れて、心配と不安を顔に浮かべていた。彼女と一緒にピョートルという、たいそう痩せて、背が高く、茶色の禿げ頭をした彼女のじいさんもやってきたが、立ったままじっとして、まっすぐ前を見ているさまは、まるで盲人のようだった。竃の上の鍋の中で豚肉が火にかけられて、そいつがシューシュー鳴ったりフーフー鳴ったりして、話でもしているようだった。「フリューフリューフリュー」。蒸し暑かった。
「何を書いたらいいんだ?」エゴールはまた尋ねた。
「なんだって!」そう言ったワシリーサは、怒りと疑いを込めて彼を睨んだ。「急かさないでちょうだい!ただで書くんじゃないんだよ、お金を出すんだからねぇ!じゃあ、書いてちょうだい。親愛なるわたしらの婿さんアンドレイ・フリサンフィチとたったひとりのわたしらの愛する娘エフィーミヤ・ペトローヴナへ愛をこめて深い敬礼と永遠に変わらぬふた親からの祝福を。」
「よし。先を続けて。」
「それからクリスマスおめでとう、わたしらは元気で健康ですよ、それからあなたたちのことも主に……天にいらっしゃる皇帝様に祈っています。」
それ以上、彼女は何も言えなかった。前に、夜ごと考えていた時には、10枚の便箋にも収まりきらないような気がしていたのに。娘が夫と一緒に行ってしまった時から、海にはたくさんの水がながれ、じいさんばあさんはみなし児のような暮らしをして、夜ごと重苦しいため息をつき、娘を葬ってしまったようだった。どれだけのことがその間に村でのなかで起こり、どれだけの結婚と死があっただろう!どんなに長い冬であっただろう!どんなに長い夜であっただろう!
「暑い!」エゴールはそう言って、チョッキの留め金をはずした。「きっと20度はあるぞ。まだなにかあるか?」彼が聞いた。
じいさんばあさんは黙っていた。
「あんたの婿さんは向こうでなにしてる?」エゴールが訊いた。
「あれは元兵士でね、兄さん、あんたもわかるだろう、」弱々しい声でじいさんが答えた。「おんなじ頃に兵役から戻ってきてな。兵士だったが、いまじゃあ、ええっと、ペテルブルグの水治療院におるよ。医者さんが病人を水で治療するんだよ。で、あれは、ええっと、医者さんとこの守衛だよ」
「ほらここに書いてある……」ばあさんがそう言って、ハンカチから手紙を抜き出した。「エフィーミヤから届いたんだよ。もう神様ぐらいだよ、何時のことだかわかるのは。もしかしたら、あの子らもうこの世にはいないのかもねぇ」
エゴールはちょっと考えて、素早く書きだした。
『現在』と彼は書いた『諸君の連(うん)命が諸君へしてに䖝(へい)務に定めたにあたり、我々は諸君に懲閥(ばつ)令ならびに陸暈(ぐん)形法に目を通さんことを忠告す。また諸君はある法令に暈(ぐん)当局の文明を見出されるであろう』
彼は書きながら、声に出して書いた分を読み上げたが、その一方でワシリーサの頭にあるのは、去年はどんなに貧乏だったか、パンもクリスマスの週まですら持たなくて、牛を売らなきゃならなかったことを書かないとということだった。お金も頼まないといけない、じいさんがしょっちゅう病気をして、もうじききっと天に召されるだろうと書かないといけない……でもそれをどうやって言葉であらわしたらいいのだろう?まず何を言ってそれからそのあとは何を?
『注意されたし』エゴールは書き続けた『暈(ぐん)法令第五巻。兵士とは一版(いっぱん)に、世に通った名である。兵士には将王(おう)軍から下(げ)兵卒の呼び名があり……』
じいさんは口をもぐつかせて、小さな声で言った。
「孫らに会いたいと、書いてもいいだろう。」
「孫らだって?」そう訊いてばあさんは怒った顔でじいさんを見た。「ああ、きっと、そんなのどこにもいやしないよ!」
「孫らがか?いるかもしれんよ。だれがわかるもんかね!」
『ついてはそれゆえ諸君は』エゴールは急いでペンを走らせた。『外敵がいかなるものか、また内なる敵はいかなるものか判別できるのである。第イッチの敵はわれらの内部にあり。すなわち酒神バッカスなり』
ペンはかさかさと音を立て、紙上に釣り針のような飾り文字を生み出していった。エゴールは筆を進め、一行一行を何度か読み上げた。彼は腰かけに座って足をテーブルの下に大きくひろげて、腹もふくれ、身体は大きく、馬面で、赤い首筋をしている。それは俗悪そのもので、粗野で、横柄で、我慢がならず、その俗悪さは居酒屋で生まれたことを誇りにしており、ワシリーサもここが俗悪だとはよくよくわかってはいたが、それを言葉に表すことができず、ただエゴールに怒りと疑いのまなざしを向けるだけだった。彼の声、わけのわからない言葉、熱気と蒸し暑さのせいで彼女の頭は痛み、考えはもつれて、もう一言も口にせず、考えもせず、ただ彼がかさかさ鳴らすのをやめるのを待っていた。じいさんの方は信じきって見つめていた。彼は自分をここに連れてきたばあさんのことも、エゴールのことも信じており、水治療院の話が出たときも、その表情には、施設のことも水の治癒力のことも信じていることが見てとれた。
書き終えると、エゴールは立ち上がって手紙の全文をはじめから読んだ。じいさんは理解できなかったけれど、信頼しきった様子でうなずいた。
「問題ないよ、すらすら書けとる……」彼は言った。「元気でな。問題ない……」
机に5コペイカを3枚置いて居酒屋を出た。じいさんが立ったままじっとして、まっすぐ前を見ているさまは、まるで盲人のようで、その顔には信じきっていると書いてあり、ワシリーサの方は、居酒屋から出るとき犬に向かって腕を振りあげ、怒ったように言った。
「うぅ、この疫病神!」
一晩中ばあさんは眠らず、いろんな考えに心乱され、明け方になると立ち上がって、お祈りをしてから駅のほうへ、手紙を出しに行った。
駅までは11キロほどあった。
つづく(元旦更新予定)