翻訳と日々

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老婆 / イワン・ブーニン

 この愚かしい田舎の老婆は台所の板椅子に腰掛けて川のように涙を流して、泣いていた。
 クリスマスの吹雪が、雪の積もった屋根や雪に埋もれた街路に旋風となって駆け回り、ぼんやりと青みがかり、薄暮時に満たされだすと、家の中は暗くなった。
 向こうの大広間では、行儀よく肘掛け椅子が囲むテーブルにビロードのクロスが掛られ、ソファーの上には褪せた輝きを放つ絵画がある--緑がかった月の光輪が雲の中にあり、鬱蒼としたリトアニアの森、三頭立ての馬車、ソリ、そこから薔薇色の光線を撃ち放つ猟師たち、そしてソリの奥に宙返りするオオカミたちがいる。部屋の一角には木鉢から天井にまで枝を広げて枯葉をつけた熱帯樹の枯れ木があり、もう一方にある漏斗のように口を開けた蓄音器は、夜になると活気づき、お客がそばにいる時には、そこから絶望したフリをした誰かのしゃがれ声が喚いていた。「ああ、つらい、つらいぞ、神よ、一人の妻と始終暮らすは!」台所では、窓台に置かれた濡れたボロ切れから水が滴り落ち、オイルクロスに覆われた鳥籠の中で眠る、羽の下に頭を埋めた熱帯地域の小鳥は、--浅い眠りと、この地のクリスマスに慣れていないせいで、悲しみがいやますばかりだった。食堂の隣の狭い部屋でぐっすりと、いびきを立てて眠る間借り人である初老の独身者は、下級中学の教師で、授業では子供たちの髪を引っ張っる一方、家では熱心に長大で、長年にわたる著作『世界文学における鎖に繋がれたプロメテウスの類型』に取り組んでいた。寝室で眠る主人たちはディナーでのひどい騒ぎがあとでうなされていた。一方老婆は暗くなってゆく台所で板椅子に座り苦い涙をこぼしていた。
 ディナーでの騒ぎはまたしても老婆が発端だった!女主人は長年の嫉妬心を恥ずべきだったが、嫉妬に狂い、ついに自分勝手に物事を決めて--料理女に老婆を雇ったのだった。主人は、もうずいぶん前から白髪を染めていたにも関わらず、考えるのは女のことばかりで、老婆を葬ろうと決意した。そして実際、老婆はあまりに醜かった。背は高く、腰は折れ、肩幅は狭く、耳は遠いし目は悪く、おどおどするせいで要領を得ず、料理の方も、精魂込めているにも関わらず、まずくて食えたものじゃなかった。彼女は一歩踏み出すごとに震え、気に入ってもらうために力を使い果たしていた……。彼女の過去は楽しいものではなかった。そう、当然ながら、夫は悪党の酒飲みで、彼の死後は見ず知らずの土地で物乞いをして、長年にわたって飢え、寒さ、寄る辺なさに苛まれた……。だから当然老婆は幸福だった、再び人並みになったのだから--腹も満たされ、暖かく、靴も履き、服も着て、役人のもとで働いているのだから!彼女はどんなに祈ったことだろう、眠る前に、台所の床にひざまづき、全身全霊を神様にささげて慈悲をかけてくださることを、そしてどんなに祈っただろう、思いがけず与えられたこれほどの慈悲を神様が彼女から取り上げてしまわないことを!しかし主人は彼女をしきりに罵って、このディナーの席でも怒鳴りつけ、彼女の手足はすくみ、シチーの入ったスープ皿が床に落ちてしまった。それもよりにもよって主人夫婦の間に!ディナー中、ずっとプロメテウスのことを考えていた教師でさえ、たまりかねて、猪のような目を脇へ逸らしてこぼした。
 「喧嘩はやめてください、紳士淑女たるみなさん、厳粛なる祭日なんですから!」
 家の中は静まりかえり、平穏が訪れた。外では雪煙が青みがかり、雪溜まりが屋根より高く吹き寄せられ、門とくぐり戸はふさがってしまった……。青白く、耳の大きい、フェルトの長靴を履いた少年で、孤児であり、主人たちの甥っ子が、台所の隣にある自分の小部屋の濡れた窓台に向かって座り、長いこと課題をこなしていた。彼は勤勉な少年で、クリスマス休暇に課された課題を空で復唱することを決めていた。自分の養育者であり恩人たちをがっかりさせたくなかったし、彼らを喜ばせ、祖国の役に立つために、一生懸命覚えていた、2500年前にギリシア人(人々は概して穏やかで、朝から晩まで総出で劇場での悲劇に参加して生贄の儀式を執り行い、余暇には神託を求めた)がある時ペルシア国王との戦争で女神アテナの力を借りて粉砕し、文明化の道を辿りさらにその先にも行けたであろう、もしも軟弱にならず、放蕩に耽ることなく、実際そうだったように、滅びるようなことがなければ、それもあらゆる古代の民族たちを道連れにしなければ、度を越して異教と贅沢に溺れることがなければ、ということを。覚えてしまうと、本を閉じてずっと爪で窓ガラスの氷を引っ掻いていた。そのあと起き上がり、そっと台所のドアへ近づいて、ドアの中を覗き込むと--また全く同じ光景があった。台所の中は静かで薄暗く、1ルーブルの壁時計は、秒針が動かず、いつも12時15分を指し、異常なほどはっきりとせっかちにチクタク鳴り、子ブタは、冬を台所で過ごし、ペチカのそばに立ち、目まで浸かるほど顔をまずい料理の入ったタライに突っ込み、ほじくっていた……老婆の方は座って泣いて、裾で顔をぬぐい--そして川のように流れていた!
 彼女はまた泣いていた--ランプに火をつけて床で切れ味の悪い包丁を使って松の木端をサモワール用に割ってからも。夕べになっても泣いていた、サモワールを主人たちの食堂に出した後でやってきた客に扉を開けてやったあとに、--それと同じ頃、暗い、雪の積もった通りを吹雪が吹き付ける遠くの街灯の向かってどうにか進む、ボロ切れの服の見張り番がいた、その息子である4人の若い男たちはみな、随分前にドイツ人の機関銃で撃ち殺された、その時見晴らしの悪い草原では、悪臭を放って立ち並ぶ小屋の中、女、年寄り、子供、雌羊たちが眠ろうとしていた。一方遠く首都の方ではまさに溢れんばかりの海の如き歓喜の酒盛りで、高級レストランでは金持ちの客たちが、水差しからオレンジ入りの安酒を飲むのが楽しいといったフリをして、水差し1つに75ルーブルを払っており、また地下にある、キャバレーと呼ばれる酒場では、コカインを吸い、時にはもっと人を呼ぶために、色を塗った顔を手当たり次第に殴り合う若者たちがおり、彼らは未来派、つまり未来の人間のフリをして、とある講堂では詩人のフリをした召使いが、エレベーターや、伯爵夫人や、車や、パイナップルにまつわる自作の詩を朗読し、とある劇場ではボール紙製の御影石をなにやら上の方へよじ登る頭が禿げきった何者かが、門のようなものを開けてくれとしつこく誰かにせがみ、別の劇場のステージに現れたのは、蹄で床を鳴らす年老いた白馬にまたがり、そして、手を紙製の甲冑に当てきっかり15分間を2000ルーブルのために歌う古代ルーシの王を装った大名手だったが、その一方で500人の鏡のように禿げた男たちがオペラグラスで凝視していた女性合唱団は、大声で歌い遠征に出る王を見送り、男たちと同じ数の装いを凝らしたご婦人方がボックス席でチョコレート菓子を頬ばり、3つ目の劇場では太って病気になった老人老婆がお互いに怒って足を踏み鳴らし、はるか昔に消え去ったモスクワ川対岸の商人とその妻のフリをして、4つ目の劇場では痩せた乙女と若者たちが、丸裸となってガラスでできた一房のぶどうを頭に載せ、熱烈に互いを追いかけ回し、なにやらサテュロスとニンフのフリをしていた……。要するに、ある者たちは見張り番をする一方、他の者たちは寝床に入ったりあるいは楽しみに打ち興じ、涙を流して泣いていた愚かな老婆の耳には、しゃがれた、絶望したフリをした叫び声が、彼女の主人の客間から流れてくるのだった。

    「ああ、つらい、つらいぞ、神よ、
     一人の妻と始終暮らすは!」

 

初出:1916年

出典: И. А. Бунин : Собрание сочинений. В 6-ти т. Т. 4, М. <<Художественная литература>>, 1988, с.144-147.

bunin-lit.ru

 

ひとこと:
革命の前の年に書かれた、帝政ロシア期最後のブーニン作のクリスマス物語です。
恩師への哀悼の意とともに。